さいきんバクマンを読んだので

 

妻が語る「荒木飛呂彦」と『ジョジョ』――『荒木麻美のジョジョと奇妙な生活』レポ

http://d.hatena.ne.jp/ill_critique/20091121/1258812421



>『ジョジョ』シリーズといえば独特の擬音表現が有名ですが、擬音執筆時の荒木先生の筆先は、目の前の原稿を大きくはみ出してもなお動き続け、時にはそのまま、目の前の何もない空間に対してまで擬音を書き殴りはじめるという程度のエピソードならば紹介しても差しさわりないでしょうか。

>チャミ様「マンガ描いてて楽しいでしょ」

と聞くと、笑顔で、

荒木先生「うん、楽しい」




ああー。そういうことか。
バクマンのあいつのモデルは、飛呂彦先生かぁ。

なっとく。











NEVER BEND

 ネヴァー・ベンド。
たわまない生き方。
曲げない生き方。

人生曲げないたわまないでいるとどうなるか?
いつか折れる。


ノーワン・リブズ・フォーエヴァー

 最近みたものの雑記。

映画「ベンジャミン・バトン――数奇な人生――」
ブラピがじいちゃんで生まれ、だんだん若返っていく物語。40代くらいがいちばん幸せで、あとは不幸でも幸せでもない平凡な人生が続いていく話。人は唐突に生まれ唐突に死ぬのではなく、空気のなかに微粒子のように漂う死を少しづつ吸い込んで、少しづつ死んでいく。人生のなかで輝くのはほんの一瞬で、あとはなんとなく漫然と、死にたくないから生きている、といった程度のモチベーションしかない、それが生きるということ。退屈だが、どこまでも真実を述べている作品。
どの物語も少なからず言及する「これが【生きる】か……!」というテーマに直球で切り込んでいてうーん、腕力勝負しとるな脚本家、という感じでした。あと、作中の10代後半のブラピがまったく違和感なく少年ブラピで、CG技術はもう想像力の限界のところまで来ているなあ。

PSP「銃声とダイヤモンド」
いまやってるゲーム。交渉人が犯罪者と駆け引きしながら事件を解決するゲームなんだけど、シナリオ脚本家がいい仕事をしている。シナリオ作家はつねにふたつの魅力のあいだのバランスをとりながら仕事をしなくちゃいけない。たとえば「分かりやすくて単純明瞭な事件」と「難解で考えがいのある事件」のあいだのバランスをとらなくちゃいけないし、「リアルで現実感がある人物」と「キャラが立ってて入り込みやすい人物」とのバランスをとらなくちゃならない。もちろん、両方ないよりは一方に偏ったほうがマシなので、世のたいていの作品は結局どちらかの魅力しか持っていない。このゲームはこのバランスとりが非常にうまい。想像だけど、ゲームの下地にテレビドラマの文法をまぜてるんじゃないだろうか。おかげで人物やストーリーが実に新鮮でよい。主人公はニューヨーク帰りの交渉人で頭が切れ、クールでかっこいい反面、お金がなくなってきたから仕事をしてたり、過去の単純なミスが原因で仕事をやめてたりと、ヒロイックな面とリアルな人間らしさを持っている。これがプレーヤーに「主人公はヒーローで失敗しないが、現実の肉を持った人間だ」と錯覚させる。この錯覚は千金に値する。
まだまだゲームの物語も語るべきことが尽きない。

映画「スパイダーマン3」
こんだけ主人公が苦しまないハリウッド作品もめずらしい。のほほんとしすぎ。1や2みたいにもっとズタズタになればいいのに。


うー

発表の前日で、ろくに寝れない・・・。
まるで人生最期の日の前日の、その翌日のような気分。



妻について書く

 配偶者の条件――内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/2009/10/18_1026.php

配偶者の「才能」「美貌」「情愛」などについて世間に知られることが少なければ少ないほど、「この人のほんとうの人間的価値を知っているのはこの世で私ひとりだ」という確信は深まる。
私が「この人の人間的価値」の唯一の証人なのである。
私がいなくなったら、この人はそのすばらしい人間的資質を誰にも認められぬままに終わる可能性がある。
そして、この確信から導かれる遂行的結論は「だから、私は生きねばならない」である。
もし、あなたの配偶者が誰が見てもすばらしい人間であり、周囲の人々がそれをほめそやすとしたら、そのことは「人が羨望するような財を手に入れた」という 満足感はもたらすかもしれないけれど、「だから、どんなことがあっても私は生きなければならない」という使命感はもたらさない。

妻が風邪ぎみなのです。
妻を大事にしよう。

想念か、それに似た何か

 ブックオフまで車でよめさんと夜の9時に行って、その帰り道を運転しながらなにやら死刑反対と賛成の話をいろいろとしているうちに、ふと口をついたように、
「人間がいちばん道徳的になる瞬間ってのはね」
と言った。

ぼくはそれを言ってから、自分でもうまく届かなかった場所に触れることができたような気がした。
これでも「よろしかったでしょうか」を認めない奴は何が不満なんだ!
なんて、まさにそれだな、と思った。

ぼくはこう言った。
「よく知らない他人を責めてる時だから」

日曜の夜の雑記。

らくがきをしながら、コミック「げんしけん」をいっきに読む。
オタクサークルのひとびとの日常を描いた話なのである。
いわゆる「日常系」に分類される(サザエさん、もやしもん等)物語で、まあ何の発展も目的もなく4年間をすごす話なんだけど、人間観察力がものすごい。「オタクじゃない人にオタクが、オタクじゃない側にあわせながら話をするとどんな感じか」なんていう微妙な距離感をセリフでがっちり表現しきっているのである。
作者の木尾先生というのは「五年生」の人なんですね、あとで知って納得。その畑の人だったわけだ。
さらにこの作者は「語りたいことをちょっとしか語らずににおわす」ということに関して絶妙な匙加減をもっているのである。これが凄い。
斑目さんと春日部さんが部室でふたりきりになったときに、
「1年もたってるのに何意識してんだか
 さっさと何か話すべ」
となって会話をしていくんだけど、どうにもちぐはぐで、話の最期に
「ある意味
 一年たったからこそ
 なのかもしれんなあ……」
となって終わる。
これが何かというと、斑目さんが春日部さんのことが好きだという意味なのである。
フツーはこんなんじゃ分からない。
ありがちなラブコメだったら、何かの拍子に手がふれあって、意外にキュンとして、「もしかして、俺……」となる。これならフラグとして分かりやすい。
けど「一年たったからこそなのかもしれんなあ」ではぜんぜんフラグではない。
フラグではないが、明確に分かるのである。
ああ、春日部さんが好きなんだなコイツ、と。疑問の余地なく分かるのである。
この技術は学んで手に入るものではない。
語らない、示さない、察させるというのがこの作者の得意技らしい。
滝本竜彦の「ネガティブハッピー」のときもそうだったけれど、読者というのは「明確に示さずにおわされた事実」というのに弱い。なんだか重要な事実のことのような気がしてしまう。
それは多分こういうことだろう。
現実世界はマンガと違って、なにも謎は明らかにならない。人間関係は自分の知らないところでこじれ、問題は自分の知らないところで発生しては解決し、だれも出来事のすべてを把握できない。
それが現実の残酷さである。
物語とは、この「現実の残酷さ」をなぐさめる愛撫のようなところがある。
本来なら、情報として提示されないから知りえないんだけど、まわりの風景、空気、なにげない仕草から「そういうことだったのか」と事実を発掘できるというのは、現実においてわれわれが渇望し希求することである。そーだったらいいのにな、とわれわれはいつも思っているのである。
だからこそ、「におわされた事実」というのに弱い。
しばしば語られる、「物語で本当に言いたいことは言うな」という教えの理由がこれである。

ま、そんなことができる作家はほんとうに少ない。
みなさまにはがんばっていただきたい所存である。

あと今日からはじめた銃のらくがき。
下のは15分くらいで描いた。
写真の模写からはじめたけど、銃を持つっていうのはやっぱりカッコいいですね。男の世界ですね。

思いつくまま手のむくまま

 今日は憂鬱なので、憂鬱なままに文章を書くことにする。

さいきんよめさんとMHP2Gをやっている。
略語で5文字もあるのは略語としていかがなものかと思う、PSPのゲームである。
でも略さないとモンスターハンターポータブルセカンドGであり、ウザいほど長い。というわけで時間がもったいない諸氏のためのMHP2Gである。

ひとことで言うと「モンスターをやっつけて武器を強くして、もっと強いモンスターを倒してもっと強い武器を作って」をえんえんと繰り返すエンドレスゲームである。
時間をベムスターのように吸い込むゲームである。
(ベムスターがなにか分からない人は、ちかくのウルトラマンマニアに聞こう)

私見であるが、このゲームでいちばんグッとくるのは、ボスモンスターが死ぬ瞬間である。
死ぬ瞬間というのは、倒して「クエストを達成しました」の文字が出て、モンスターが地面に倒れ、もがいて、動かなくなる、ピタリと静止する、その瞬間である。
ついさっきまで、ちょっと触れただけで大ダメージ、プレイヤーを死へいざなう存在だった大型モンスターが、その瞬間にただの「アイテム剥ぎ取り場所」になる。
とくにクック先生のような「表情の見える」モンスターが死ぬ瞬間は格別で、そこには「死にたくない」という、ゲームのポリゴンであることを忘れさせるような苦悶の表情がみえて、とっても素敵である。
ぼくはその瞬間をできるだけじっくり見るために、カメラを拡大してとっくり見る。討伐の達成感とあいまって、格別の至福である。とてもよい。
生き物がどんなに死にたくないと思っても、死ぬときは死ぬ。まったくもって残酷な世界である。

マンガ喫茶に言って「センゴク天正記」と「THE END」を読む。
こういう「おれたちはこう生きる、おまえたちは?」的な物語は今の自分の環境とあいまって読むとずっしり来る。まあ、物語が語るべきテーマなんてこれくらいしかないんだろうけど。

日曜の夜はいつも憂鬱だなあ。

(゜□゜)タダゴトデハナイ

ただごとではない詩世界。
物質世界に存在しうるぎりぎりの美しさ。
小林大吾の世界。

ニコニコ動画



“黄金色銀杏並木/長椅子に腰かける紳士が目をほそめながら新聞をひろげる/
 数センチ角の記事を熱心に読みふける
 「すいませんちょっと火を貸してもらえませんか/目を引く事件はありますか、
 ときどき錯角したりはしませんか、紙面をいろどる事件の数々がどれもこれも例外なく/
 じぶんに関するものとでもいうような?/そうしてときどき想像したりはしませんか/
 いつだかの些細なあやまちが/紙面のすみを控えめに埋めていたとしたら?」”

“営団地下鉄エドガー橋駅/A1出口でみかけた生まれつき後ろ脚の/
 片方がない猫はすれちがう4本足を/多すぎやしないかとふしぎそうに眺める”

“紳士は応える、それはたとえばどんなことか?/罪と呼べるものか?あるいはただの傷か?/
 「ふむ…そのどちらもです、/罪にしても傷にしても、ひとつの物事をこちら側からみるか
 それともあちら側からみるか、/あるのはおそらくその程度の違いです/
 うしろめたさを痛みと呼んで差し支えなければ/そういう条件つきではあるけれど」”

“あやまちというにはあまりにも拙い、けれど/そう思うからこそさいなまれることがままある/
 よく似た人をきのう今日にみかけた/そんな感傷の凹凸にけつまずいたくらいで/
 おおきく揺さぶられるほうがどうかしている/紳士は新聞を折りたたんで言う、それは/
 かけがえのない時間に対する侮辱じゃあないのか?/そのとおりだ!反論の余地なんてまるでない”


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作詞家を目指すとなぜか良いそうです。

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ネザーの電池切れ冒険譚

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