- 毎朝かんがえること
- CintaNotesで文筆家
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2010.01.24 Sundayむかしから不満でした。
文章活動というのは一種の化学反応、スパークであり、書きたいっ、と思った瞬間に書かないと、0.1秒後には輝きが失われ、空気にさらされた飛行石のように黒くくすんでしまうものなのです。
そのことを自覚してからぼくは、思い立ってから実際に書くまでのタイムラグを極力減らす執筆ツールはないものか、と模索してまいりました。
ノート手書きからはじまり、WORD、紙COPI、モバイルギア、といろいろな執筆ツールを試してみましたが、どうもしっくりきません。手軽に起動でき、書くのがスピーディで、長時間書ける、という都合のいいツールは、なかなか見つかりませんでした。
ひょっとしてTwitterがそれなのか? と思いましたが、どうやらあれは他人に読ませる用のもので、まだアイデアとも呼べない自分のなかの半熟状態の言葉たちをカタチにするには徹底的に不向きなツールであると知りました。(ひょっとしたらそれはぼくだけかもしれず、何故なら世の中にはTwitterで小説を書いている人もいるそうだからです)
ああ、ぼくの運命のツールはいずこなりや?
そんな中先日見つけたのがこのツール。
現在、圧倒的な差をつけてぼくの中の「運命のツールランキング」一位です。
CintaNotes
http://www.cintanotes.com/
動作が軽く、パソコン起動と同時にスタンバイし、何より呼び出しが早い。「Ctrl+Alt+F12」でポンと出てきて、Insertを押せばすぐ書き始めることができます。装飾はシンプルで、余計な機能がありません。文字数制限がないため長文を執筆するのにも適している。おやおや、言うことなしじゃないか。
書くこと、書き続けること自体が快であるぼくにはぴったりのツールです。
目下、思いついたことを脊髄反射的に垂れ流し続ける「王様の耳はロバの耳」の穴のような位置づけで、ぼくはCintaNotesを愛用しています。
プラス、個人的に最強なのがこれにDropboxをコンボさせた組み合わせ。
Dropbox
https://www.dropbox.com/
このDropboxは2Gbのオンラインストレージを作ってくれる無料サービスですが、CintaNotesのポータブル版をこのDropboxの中にインストールすれば、どのパソコンからでも自分のメモを更新することができます。作業机で書いた続きを、布団の中のノートパソコンで書く。変更は自動的にDropboxが同期するので、家の中にPCが多ければ多いほど、ぼくの理想である「いつでもどこでも、思いついたら執筆活動」の姿に近づいていきます。
唯一の欠点は、このCintaNotes、おそろしく名前が覚えにくい。今回これだけ連呼したぼくでも、多分明日になれば忘れてる。再インストールしたくても、検索でCintaNotesのサイトを見つけ出せる気がしません。
そういうわけだから、忘れてもここを見れば大丈夫なように、今日、ぼくはこのエントリを書きました。
明日も晴れるといいなあ。
- 「アバター」観ました!
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2010.01.10 Sunday名古屋の109シネマズで「アバター」を見ました。
3Dメガネで。
いろいろ感想はありましたが、どれが伝えるべき情報なのか分からないため、とりあえず取り急ぎ備忘録まで。
1)やはり3D画像は没入感がすごい。その世界にいる感じがし、脇役の死ひとつとっても「うわっ目の前で死んじゃった」感がとても出て、物語の趨勢にハラハラできる。元来この没入ハラハラは魅力的な主人公、驚きの展開、深いテーマで徐々に聴衆を引きずりこんでいかなくてはならないものなのに、あんなデカダサいメガネひとつで世界にグイッと引きずり込む。ずるい。「ずるい」というのが、ぼくの3Dに対する感想。
2)設定上、主人公は人間の体と現地民ナヴィの体をいったりきたりする。そのうちに「どっちが現実か分からない」となり、人間でいるよりナヴィでいたい、ナヴィの人生を送りたいという分裂的な感覚に苦しむ。これってまさにオンラインゲームにはまりすぎた人の感覚だよな、と思った。リアルが多重になり、人生Aと人生Bを行き来するうちに、オリジナルじゃないほうの人生Bに魅力を感じ、とらわれる。気持ちは分かるが、物理的には人間の体がないとナヴィにはなれないわけで、その制約が解決されない限り、人生Bに感じる魅力は「魔」とするしかない。
ネトゲにはまるやつが非社会的、とされるのは、この「魔の魅力」に対する拒否反応が人間にそなわっているからだ。ゆえに、主人公の中盤の葛藤は、ダサキモい葛藤と言わざるを得ない。
3)ラストが納得いかん。まったく納得いかん。(以下ネタバレ)
人間VSナヴィの戦いに主人公はナヴィ側で参戦し、勝利する。そしてナヴィの肉体に完全に乗り換える、というオチなんだけど、それはつまり人間はダメダメだからもう捨てよう、ナヴィとして生きようと主人公が宣言したことになる。要するに人間の脳の否定。観客には、「おまえらもうダメ、俺は見捨てるよ」と宣言されたように読める。それは正義でも美徳でもなく、逃げだ。第一そこには、「人間でないものになってしまう」という根源的な恐怖があるはずなのだ。彼はどうしてそんなにノリノリなのだ?
いろいろ書いたけど、まさに目の前で戦闘やドラマが繰り広げられる迫力は圧巻。大学院時代ヴァーチャル・リアリティの研究で「没入感」についていろいろ調べたけど、あのリアリティ、迫力、まさに目の前で人が戦い、死ぬ感じ、息遣いや空気の動きを感じられるあの圧倒的な説得力は、「没入感」なんていう言葉では表現しきれない。物語製作者は、ある種の極みとして、一度は3Dで観ておくべき。
- キヤノンの採用スケジュールにみる生焼け肉理論
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2010.01.06 Wednesdayキヤノンが「夏に新卒採用」を宣言
http://teiki.saiyo.jp/canon-mj2011/contents/dm_2/index.html
すげえ。
キヤノンすげえ。
「慣習を無視する」「横並びを否定する」というのは、
日本のサラリーマンシステムでは、ほとんど不可能に近いのに。
キヤノンの宣言は、かんたんに言うと、
「新卒採用を4月じゃなくて夏にします。
なぜかというと業績悪くて、採用枠を決められないから。
4月の業績みて決めます」というもの。
この宣言、良いか悪いか?
断然良い、とぼくは思う。
生焼けの焼肉理論、というものがある。
AさんとBさんとCさんが焼肉を食べている。
もりもりと食べている。
あるとき、Aさんが、まだちゃんと焼けてない肉も食べることにしよう、と決意したとする。
Aさんは「生焼け肉」も食べることができるようになる。
すると、BさんCさんは食べられる肉が少なくなる。
Aさんが生焼けのうちに肉をどんどん食べちゃうからだ。
生焼け肉をたべまくるAさんは、生焼けだけど肉をたくさん食えてしあわせだ。
するとBさんも、「このままじゃ食いっぱぐれる。おれも生焼けをくおう」と考えるようになる。
どうなるか。Cさんがほとんど肉を食べられなくなる。
Cさんは泣く泣く考える。「このままじゃぜんぜん肉を食べられない。しょうがない、ぼくも生焼け肉をくおう」と。
全員が生焼け肉をたべはじめる。
これが「生焼け焼肉理論」だ。
この状態が常態化すると、全員が「こんがり焼けた肉のほうがおいしい」と知っていながらも、全員が生焼け肉を等しく食う、という非効率な状況ができあがる。
現在の新卒就活はこれとほとんど同じだ。
現代の新卒就活は非効率な慣例でみちている。
・新卒偏重主義(内定取り消しされて既卒になったら、もう就職できない。たとえ4留とかしても、卒業前なら新卒扱いなので就職先がたくさん)
・四大卒偏重主義(四大卒でないと就活業界では人間扱いされない)
などなど。
今回キヤノンがぶちやぶった4月内定主義もそうだ。
キヤノンがやった採用時期の後ずらし自体がすごいわけではない。
今までやりたくても誰もやれなかった「慣例やぶり」、つまり「もう生焼け肉を食べるのはやめようぜ宣言」をしたのが、すごいのである。
今回のキヤノンのはそうでもないが、一般に生焼け肉状態でいちばん損をするのは、「もう生焼け肉を食べるのはやめようぜ」と最初に言った奴である。
慣習から外れると、そのぶん仕組みをつくるのが大変になる。
「慣習からはずれてもちゃんとやっていけますよ」という内容の社内決裁をとらなくてはならなくなるからだ。
慣習からはずれない決裁は実に簡単だ。「他が大丈夫だったんだから、うちも大丈夫」と一言言うだけでいい。
誰かが新たな前例をひとつ作らなくては流れは変わっていかないが、最初に前例を作る人は大変さのわりにメリットが少ない。
新卒偏重主義をやめて、中途枠をメインに人事活用しようとしても、今の日本では難しい。
他の会社はガチガチの新卒主義だから、人材が非流動的で、よい中途が入ってこない。プロパーを育てるやりかた以外でやったことがないから、成功体験がない。
でも、誰かがやらなくちゃならないのです。
これをきっかけに、新卒採用市場がもっと混沌として、勝手気ままな、企業やりたい放題、学生えらび放題な世界になってくれれば、「はたらく」の概念ももうちょっと面白くなるのにな、と思う。
- 悲劇作家
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2010.01.06 Wednesday休日の最終日の夜に、きまってこのブログを書きたくなる。
たいていは日曜の夜だ。次の日が仕事という実に重苦しい空気の中で、どういうわけかぼくは無性に文章が書きたくなる。なにかを書いて書いて書きまくりたくなる。
けれどたいていの場合休日の最終日なんていう気分で書く文章はまわりにネガティブをまきちらす芬々たる悪臭放つ文章にきまっているし、そもそも書くネタがないので、これはもう「書きたい」という欲求をむりやりにムギュッと押しつぶすしかない。ぐえっ。
ただそういう「書きたい気持ちムギュッ」が何年も続くと、さすがに不思議になってくる。
どうして書きたくなるのか?
書きたいという気持ちは表現欲である。表現、つまり誰かに伝えたいのである。それは万民が持つ、おさえようのないリビドーである。だがそれがなぜ仕事の前日なのか? なぜ旅行帰り、イベント帰り、楽しいことポジティブなことじゃないのか? 面白おかしいことを伝えたっていいじゃないか。あるいは不満でもいい。店員が態度悪かったとか自転車が壊れたとか、そういうときに「あーこれ書きたい!」となってもいいではないか。
なぜなのか?
ぼくは悲劇作家なのだ、たぶん。
テンションの低いときでないと文章が書けないのだ。
世の中には悲劇作家と喜劇作家がいる。楽しい話しかできない人と、悲しい話しかできない人がいる(あるいはどちらも中途半端にできる人がいる)。
ぼくは悲劇作家だ。この世の根底、感情の本質は悲しみだと思う。さみしさ、悲壮さ、人生に対する暗い決意。そういったテンションの低い世界がほんとうの世界。爆笑とかワイワイガヤガヤとかは、そういった悲しみと悲しみのあいだに存在する、ちょっとした休憩みたいなものだ。
すべての人を悲劇作家と喜劇作家に分けることはできない。
でも例えば、宇多田ヒカルは悲劇作家だ。あらゆる歌が、感情を込めれば込めるほどネガティブで悲壮で、テンションの低いところに、感情の深いところへぐうううううっっ、と押し込まれていく。彼女も感情の本質は悲しみだと思っているんだろう。『あなたが好きでたまらんぜヒャッホイ!』という曲は、彼女の作った歌にはない。
ぼくだってできれば楽しい話、明るい話、勇気とか元気とか、がんばっていこう! 人を愛していこう! みたいな話を書きたい。けれど駄目だ。ぼくにとって世界は、悲しみをうけいれる懐の大きさをもっていないと、おしつぶされてしまう理不尽なところなのだ。その世界でぼくたちは、タフに生きていくしかないのだ。
タフじゃなければ生きていけない。優しくなければ生きていく価値がない。
- 映画評:16ブロック
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2009.12.22 Tuesday映画「16ブロック」を見る。
腰を抜かすほどに「ハリウッド脚本術」に忠実に作られていて、うわあと思う。
どこが忠実か?
ざっくり言うと、ハリウッド流の脚本は序破急の中身として
・「誘引」――主人公がピンチに陥る。
・「期待」――主人公がピンチを乗り越えるが、そのためには主人公の中の「弱さ」と向き合い、打ち勝つ必要が出てくる。
・「満足」――主人公が自分の弱さを克服し、ピンチを乗り越える。
となっている。
さらに、主人公には必ずライバルが出現しなければならない。そのライバルの望みは主人公の望みと対立し、どちらか一方の望みしか叶えることができない。
ほんとーに、そのまんま。(以降ネタバレ)
主人公ジャックはやる気のない中年警官。たまたま裁判所まで護送することになった証人はある警官の犯罪を目撃しており、警察に狙われている。この証人を「助ける」決断をしたことで、ジャックは警察全体から追われることになってしまう(誘引:主人公のピンチ)。
元相棒の警官フランク(ライバル)は証人を殺すため、主人公と対立する。フランクに追われながら主人公ジャックは命がけの行動を迫られる。その逃走劇のなかで証人と心をかわし、少しずつ正義の心を目覚めさせていくジャック。(期待:主人公が弱さと向き合う)
そして物語の後半、主人公が告白する。証人が目撃したという警察の汚職に実は自分も関与していたこと。今まで告発する勇気がなかったこと。しかし主人公ジャックは目覚め、自ら証人となることを決意する(満足:主人公が自分の弱さを克服する)。
そして見事裁判所に辿り着き、ライバルの汚職も告発し、勝利する。
観客は「やっぱり正義は勝つんだなあ」と満足する。
もーまさにハリウッド脚本術から1ミリも出ない、おそるべき王道。
そして本当におそるべきは、上記のようなことをぼくが知っていても、「あーなんかいつもと同じヤツを見ちまったなあ。コピーコピー、つまんねえ」とならなかったこと。なにか新鮮な気持ちで見れたこと。
ハリウッドのシナリオ術はある意味でストーリーシステムの極致であり、これで毎年莫大な利益をあげている。
そんなものは大量生産の自動車といっしょだ、とも言える。だけどわれわれはハリウッドのこのシステム成功を無視できない。
世界中のあらゆるクリエイターが、無視できないだろう。
人類はおそるべきものを生み出してしまった。
- 悲しいけれど悲しむことができないこと
- 物語ツールについて
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2009.12.13 Sundayあまりにも素晴らしかったので、全文引用しよう。
物語作者がチラシの裏に書くべき7つの表/もうキャラクター設定表はいらない
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-145.html
「起」:「承」:「転」:「結」=2:4:1:1
など、割り切ったというか、はしっこいというか。
端的に言うと、ハリウッド脚本術の発展版みたいなエントリ。
ためしに名作「ダークナイト」でやってみたら、おどろくほどこの表で再現できた。こういうハウツーを踏襲しながら、なおかつ面白いものを作っちゃうのがハリウッドの、というかアメリカ人のすごいところだ。日本人はこういうのを使うとマニュアルから一歩も出ない陳腐なものができちゃう。
以下引用。前口上
欧米だと、物書きの必需品にアウトライン・プロセッサ(WIN用;mac用というのがあるけれど、日本ではあまり普及してないみたいだ。
アウトライン・プロセッサというのは、インデント付きの箇条書き作成ソフトで、ある項目を移動すれば、それより下位レベルの項目は一緒に移動してくれ る。あるレベル以下を一時的に見えなくしたり、逆に見えなくしておいたものを展開したり、と箇条書きであれこれ考えるのに便利なソフトである。
樹木(トゥリー)状のデータというのは、インデント付きの箇条書きで表現できるし、マインド・マップ(R)のような、一般名詞でいえばスパイダー・マップのようなものでも表現できる。見かけは違うが、データの構造としては、等価ということである。
一方で、インデント付きの箇条書き(アウトライン)よりも、日本人は「表」が好きらしい。表を埋めていくことで、考えを煮詰めていく方がやりやすいらしい。
適切に考えを導いてくれる表のフォーマットができれば、それだけで創造的行為の効率は大いに上がると、どこかで考えているらしい。
なにより表は有限である(逆にアウトラインや、とりわけマインドマップは、どこまで書いても未完成くさい。それが良いところではあるが)。
そこまで書けばオシマイだ、という分量が一目瞭然である。最終的に原稿用紙というマス目を埋めてきた人たちが、表に愛着を覚えるというのも無理もない話であるような気もする。
そこで物語づくり(からディルール込みの完成品への落とし込みまで)の道具として、表をいくつか考えてみた。
以下では、「表」の使い方を説明するのが主となるから、ストーリーを作る実作業に即したものとなる。
汎用のものから、ごく特殊なものまであるが、それぞれの場合で利用していただけると幸いである。
1.マンダラート
*
3×3の表である。これも本式にはいろいろ作法があるのだが、ぶっちゃけていうと中心に、思いつきの種をまず書き入れて、そこから連想するもの、思いついたものを、周囲の8つのマスに埋めていく。
必ず8つ考えないといけないところがミソで、ふつうにやると3〜4個しか思いつかないところを無理矢理8つ考えるのである。無理して苦し紛れに出したアイデアが、結構よかったりする。
なかなか項目を埋められない時、埋まった項目同士の関連性(縦軸や横軸3つの関連性とか)や全体のバランス(偏ってないか、足りないのは何かなど)を考えると、思わぬ発想が浮かんだりする。
出てきたアイデアを、次の表の真ん中に書いて、さらに8つのアイデアを書く(さらにさらに、と繰り返す)とよい。
物事の原因を考えるのに5回重ねてWHY(なぜ?)と問え、というのがあるが、ストーリー作りでいえば、
(1)ある出来事を真ん中に書いて、その原因となった出来事を周囲の8つに書く。これらの出来事についても、別の表の真ん中に書いて、さらに原因となった出来事を8つ書く。これを繰り返す。
(2)ある出来事を真ん中に書いて、その結果として生じるであろう出来事を周囲の8つに書く。これらの出来事についても、別の表の真ん中に書いて、さらに結果として生じるだろう出来事を8つ書く。
長所は、表はとにかく埋めなくてはいけないという日本人の強迫観念に訴えるところ、短所は(マインドマップなどに比べて)出てきたアイデアが一 覧しにくいところだろうか。最初にマンダラートで無理やりひねり出したアイデアを、マインドマップやアウトライン・プロセッサで整理していくのも、アリだ と思う。
2.5w1h表
誰もが知っているものですが、意外なほど使えます。線を引いてわざわざ表を作らなくても、ある人は「5w1h」と入力すると「いつ: どこ で: だれが: なにを: なぜ: どのように: 」に変換するよう単語登録をしていました。おおまかなこと(ここではあらすじ)を考えるグランド・デザ インの段階から、ひとつひとつのエピソードの細部を詰めるディティール・ビルドまで、いろんなところで使えます。欠けていたり、不明なままにされている部 分、書き手は前提にしているが読み手には知らされてない部分などをチェックするのにも使えるでしょう。
物語の進行を「語り」にばかりに任せて、登場人物たちの行為や感情があまり交差しない人の場合は、「6w1h」として「いつ: どこで: だれが: だれに対して: なにを: なぜ: どのように: 」と項目を増やすのも手かもしれません。
3.対人関係マトリクス
ライトノベルだと、登場人物の発言はかなりの程度「様式化」されていて、会話を読むだけで(相手の呼び名や語尾などで)、誰の発言か、誰に話しかけているか、がおおよそわかる。
そこで次のような表で、それぞれの「呼び方」を整理してみる。
タテがヨコを呼ぶときの呼び方(事例:『涼宮ハルヒの憂鬱』)→ ハルヒ キョン 長 門 みくる 古 泉 ハルヒ あたし あんた 有希 みくるちゃん 古泉君 キョン おまえ 俺 長門 朝比奈さん 古泉 長 門 あなた あなた わたし あなた あなた みくる 涼宮さん キョン君 長門さん わたし 古泉君 古 泉 涼宮さん あなた 長門さん 朝比奈さん 僕
マトリクスで整理できるのは「呼び名」や「口調」の特徴だけではない。
オリジナルなキャラクターを設定する場合も、当人の性格や行動パターンは、「誰に対しては、どうなのか?」を決めていくことで、具体性と厚みを増す。
キャラクター(登場人物)は、他のキャラクターとのアクション(働きがけ)/インタラクション(相互行為)の中でお互いを特徴付けていくことが望ましい。
地の文(人物描写)で「@@は美人である」と書く(方が簡単だし、どんな特徴付けも可能だが、それだけになんでもありだし、白々しいものにありがち)、美人である@@に対する周囲の働きがけや反応から描いた方が無理矢理でないし自然に処理できる。
4.主人公−ライバル対照表
あらゆる物語に主人公がいるが、すべての物語がはっきりとした主人公の敵対者を持つ訳ではない。
だが多くのエンターテイメントでは、敵対者の存在は不可欠であり、それは物語にサスペンスとストーリーを先へ進める力をもたらすだけでなく、様々なエピソードで織り上げられる複雑なストーリーに、一本の太いはっきりとした軸を生み出す。
敵対者を登場させたとしても、主人公との関わりや対立点がはっきりしなければ、主人公ー敵対者の関係は、上記のようなメリットをもたらさない。主人公ー敵対者関係は明確に整理され、練り上げられる必要がある。
『刑事ジョン・ブック/目撃者』の主人公ーライバル対照表動機 行動 目標 対立点 ジョン(主人公) ジョン・ブックは殺人犯の操作の任務を受ける ジョンはアーミッシュの農場に身を潜め、ポールが殺人犯だと正体を明かす方法を探る ポールが殺人犯だと暴露すること ジョンはポールの犯罪を白日の下に引き出すことを望んでいる ポール(敵対者) ポールはジョンに真犯人が自分であることを見破られる ポールはジョンを殺そうとする。逃げたジョンを追跡し、見つけ出す ジョンに暴露される前にジョンを殺すこと ポールは事件が明るみに出る前にジョンを殺すことを望んでいる
上記のように整理された主人公ー敵対者関係は、ストーリーにはっきりとした方向性を与えるとともに、ディティールについても説得力のあるアイ デアを生み出す素地となる。これも対立すべき項目の一方が埋められなかったり、片方は魅力的なのに片方は凡庸だったり、抜けている箇所やバランスの悪さを 考慮すると、表が埋まって考えがはっきりする。特に「対立点」(コンフリクト)が明確でないなら再考する余地がある。
普通、主人公と敵対者は、こっけいなほどに対照的に描かれるものであるが、ストーリーにとって(あるいはストーリーを膨らませるいくつかのサ ブ・プロットにとって)、一部の対照は不必要であり、別の対照点はさらにはっきり作り込むことが必要であることが、こうした表で主人公ー敵対者関係を整理 することではっきりする場合がある。
キャラクター設定表は?
さて他にキャラクターの名前と属性をまとめた「キャラクター設定表」などが考えられるが、性格や血液型や星座などといった属性を、キャラクターそれぞれについて並べたものは、無駄ではないが、
(a)実際にキャラクターを行動させ、 (b)ストーリーを進展させ、
(c)主人公その他主要人物を物語の中で成長させていくのか
を考える際に、あまり有益でない。
問題点らしきものをまとめてみると- 登場人物の特徴を一人一人バラバラに設定した表は、ストーリーづくりにとっては静的すぎる。
- 登場人物たちに間でバランスをとるように配られた性質(感情的な人物がいる一方で冷静な人物がいる。寡黙な人物がいる一方で、雄弁な人物がいる、 といった)は、ただ設定表の上でバランスを保っているだけで、ストーリーの進行にどのように寄与するか明らかでない(動かないキャラクターでも、こうした 設定表の上では、他のキャラクターと同等の位置を占める)。
- 物語の登場人物たちのストーリーにおける重要さは、同じではない。非常に重要な登場人物はふつう少数であり、あまり重要でない登場人物が登場する 回数も時間も少ない。すべての登場人物が物語を通じて成長するわけでないし、すべての登場人物が自らの願いを叶えられるとは限らない。これら「軽重」のあ る登場人物たちを、等しく扱うことは得策ではない。
対策は、登場人物の一覧表といったメモの他に、重要な人物については、その性質が端的に分かるシーンはどのようなものか(それはその人物が思わず反応し てしまうシチュエーションで描かれるだろう;これはストーリー冒頭で、人物の紹介を説明しすぎることを避ける。人物の行為=反応によって、自ずから知られ るからだ)、どのような過程を経て成長するだろうか、といったアイデアを別に作っていくことだ。
登場人物は、設定の中にではなく、ストーリーの中にこそ存する。
5.テーマ設計表
元々は小論文などを書くために用いられるものである。簡単にいうと、ひとりディベートのためのシートである。紙の真ん中に線を引き(あるいは折り目を入れて)、左側を賛成派、右側を反対派と決める。スタートは左上に、テーマを短い文章で書くことである。
小論文といえど、主張すべきもの(テーマ)がある。逆にテーマを書いていては、どれだけ文章を綴ろうと小論文ではない。
小論文の構成はどうあるべきか。それはたくさんの論拠とデータによって、主張したいテーマを根拠づけられていることである。しかし小論文は短い しそれほどの根拠もデータも詰め込める訳ではない。そこで重要な根拠/データから入れることになるのだが、重要な根拠/データとは、「テーマが主張された 場合、真っ先に出てくる反論」に対して、再反論し論破できるものである。
したがってテーマ設計表は、次のように用いる。
(1)左上に「テーマ」を書く。
(2)その右となりの欄に「なぜそんなことが言えるのか?」と書く。
(3)こんどは左の欄で、テーマの下に「なぜなら、@@であるから」と再反論を書く。
(4)これに対して、右の欄にさらに反論を書く。たとえば「ほんとうに@@なのか?(データはあるか?)」「@@だとどうしてテーマが正しいと言えるのか?(論拠はどんなものだ?)」といったものを。
(5)どんどん書いていって議論が紙の下の方に来ると、単純な事実や論拠はすでに「反対派」も容認するところになっているので、「テーマの主張が概ね正しいとしても、成立しない場合があるのでは?」「**という例があるのでは?」といった条件闘争的な反論になってくる。
ストーリーを作る場合、この表を使うと、むしろ(5)あたりで出てくるものが素材となる。
たとえば「正義は勝つ」というテーマに対して、たくさんの反例や条件が提起されるだろう。そしてストーリーは、「正義が勝っていない」反例的な シーンから始まり(なので反論は具体的なものがよい)、反論に対して再反論がなされていくようにストーリーは進んでいく。つまり、テーマ設計表の右下隅か らストーリーは始まり、クライマックスで左上の「テーマ」に至るのである。
6.ストーリー構成表
1 5 2 6 3 7 4 8
ストーリーの構成は、いろいろ悪口を言われながら「起承転結」といったことが言われる。問題は、四コマ漫画とちがって、ある程度以上の長さを持つストーリーだと「起」「承」「転」「結」がそれぞれどれくらいの長さかわかりにくいことである。
もちろんストーリーに応じて好きに伸ばしたり縮めたりすればいいのだが、伸縮する前の長さの目安を示すと、「起」:「承」:「転」:「結」=2:4:1:1である。上のストーリー構成表だと、1と2が「起」、3〜6が「承」、7が「転」、8が「結」である。
ストーリー構成表は、いきなり埋めてもいいし、他の道具でアイデア出しをしたり、登場人物やその関係を考え、テーマを描くのに必要なエピソード を集めた上で、まとめ上げるのに使ってもいい。一度書き上がったストーリーのバランスを修正するのにも使える。いったんストーリーのアウトラインを取り出 してコンパクトにして考えるので、取り扱いやすくなる。
ひとつのマス目には文章で2、3文、文字数だと50字くらいで、短く書く。
使い方のポイントは、1から順番に埋めていかないことである。
もっとはっきり言うと、最初は7の「転」=いわゆるクライマックス、を最初に書くことである。
クライマックスは、ストーリーを通じて繰り返し現れるセントラル・クエスチョン(中心となる問い)に対する答えが、主人公の行動を通じて示され る場面である。またベタな例を出せば、「正義は勝つ」というのがテーマならば、セントラル・クエスチョンは「正義は本当に勝つのだろうか」、より具体的に は「正義の側だとされる、このストーリーの主人公は、このストーリーに登場する悪に、本当に勝てるのだろうか?」となる。
これで、「起」と「承」に書くことが決まってくる。
「起」は、このストーリーの舞台と登場人物の誰が何者であり、何をしそうかを提示する。
「承」は、「転」に至るまで、繰り返しセントラル・クエスチョンを提示し、読者をクライマックスまで引きつけ引っ張っていく。最も長い部分であり、ここでどこまで盛り上げるかが、クライマックスの盛り上がりを決める。
「転」では、セントラル・クエスチョンと、その他、伏線めいた多くの疑問にも、残らず答え/解決が示される。
その後の「結」は、長々しく話を引っ張るのはやめて、短くストーリーを終結させる。
7.プロット細分表
前段のエピソード
↓発端 前段までで与えられている前提となる状況 前段のエピソードを引き継いでいることを示す描写 焦点化 状況の内から、今回のエピソードで統合する分離、克服する障害をピックアップ 統合される/克服される条件に焦点化した描写 過程a 感情の交換 どんな感情が互いに表現され、その結果どんな感情の変化が生じたかをほのめかす描写 過程b 知識/情報の交換 どんな知識/情報がどのように提示されたか(例えば推理が披露される、未知のものの正体が明かされる、秘密を知る人物が登場する)、それが登場人物たちの動機や今後の行動に与える影響をほのめかす描写 過程c 行動の交換;働きかけと反応の交換 登場人物の間でどんな働きかけが行われ、それに対してどんな反応が起こったか、そのやりとりはどんな関係の変化を示しているかをほのめかす描写(過去の同様の場面との比較など) 統合 分離・対立の解消、問題の解決 問題の解消や関係の変化の描写するか、暗示する ↓
次のエピソードへ
あらすじやプロットから、ひとつの要素を取り出して、エピソードとして使えるように詳細化する際に用いる。
こうしたあらすじを詳細化する中で、- ここでは何に焦点を合わせるべきか、
- ここでは何がどんな風に起こらねばならないか
- ここではどんな感情の変化が生じるか
などを明確にすることができ、「何を描写すべきか」が決まり、ここではじめて「どう描写すべきか」を考える条件が整う。
「描写が苦手」だという人は、自分では「どう描写すべきか」がわからないと考えがちであるが、実は「何を描写すべきか」をわかっていないことが多い。
それぞれのステップについて簡単に説明する。
ア.発端
ストーリの中で、前段までに登場している状況が、今考えるエピソードの前提条件である。
イ.分離・対立・問題の焦点化
そうした前提条件の中から、
(1)前段までのストーリーが含む前提条件を詳細化/細分化する
(2)条件のうち、このエピソードで解決する問題(統合する分離、克服する障害)を決める
(3)統合される/克服される条件に焦点をあわせた描写を行う。これは問題の解決後と比較できるように示される意味もある。
ウ.過程
問題の解決、分離していたものの統合、障害の克服は、いくつものステップを通じて達成される。
現実には、ただ時間が経過しただけで問題が解決する場合もあるが、ストーリー上は、時間の経過すら、作者が何かを書かないと生じない。
解決への過程を、ここでは「何かが交換される過程」と考える。
交換を通じて、登場人物の感情や情報や制約条件などに変化が生じ、その変化は登場人物の行動を通じて、先に述べた「統合される/克服される条件」の変化へと広がっていく。
(交換の意味や威力については人類学や社会学の知見が参考になる)。
交換されるものは様々である。
挨拶のような決まりきった行動のやり取りから、感情を表現し合うこと、情報・秘密の交換、アイデア・発見と対価・機会提供についての実際の交換など、多くのものが考えられる。
交換は、時間を費やして行われ、その影響は時間を経るごとに広がっていく。
エ.統合
(1)登場人物の行動などを通じて、解決する問題(統合する分離、克服する障害)を構成していた条件が変化したことを示す。
(2)統合された/克服された条件に焦点化した描写
(3)結末(次のエピソードへ)
事例:ハルキョン家を探す その3 のエピソード
発端 前段までで与えられている前提となる状況 ハルヒと二人で不動産屋を訪れる。キョンは店主と話したことがある。 焦点化 状況の内から、今回のエピソードで統合する分離、克服する障害をピックアップ ハルヒと店主、話したことはない。 過程a 意見/感情の交換 「家なんて帰って寝るところかな?」と否定的に投げるおじさん→「そうですね」→「そんなことないわ」(共感の表現)(意見/感情の交換) 過程b 知識/情報の交換 父親の家へのこだわりを話すおじさん→父親の世界の変な家の資料を見せるおじさん→写真の謎をとくハルヒ(知識と推理との交換) 過程c 働きかけと反応の交換 店番を提案するハルヒ→承諾する店主(アイデア提示と承諾の交換) 統合 分離・対立の解消、問題の解決 (2〜3度の交換を経て)ハルヒと店主、意気投合
- 有給でまんがきっさ
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2009.11.30 Mondayマンガ「宇宙兄弟」を読む。
ひとことで言うと、ダメな主人公がちょっとづつ夢(宇宙飛行士)をかなえていく話。
面接やらの試験が4回あるんだけど、当然主人公なのですべて一発合格。
確かに読者の分身たる主人公が試験に落ちるストーリーなぞ不快すぎて読む気になれない。でも、それでいいのか?
「物語でくらいスカッと成功する話が読みたい」と人は言う。けれどその論理でいくと、物語はすべてニセの人生論しか展開できず、物語を好きで読む人ほどニセ人生を信じ込んでしまい失敗するダメ人間だということになりはしないか?
ちなみに「宇宙兄弟」は間合いのよいストーリーとキャラの「今までいそうでいなかった感」が心地よい、フツーに優良マンガでした。
- さいきんバクマンを読んだので
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2009.11.22 Sunday
妻が語る「荒木飛呂彦」と『ジョジョ』――『荒木麻美のジョジョと奇妙な生活』レポ
http://d.hatena.ne.jp/ill_critique/20091121/1258812421
>『ジョジョ』シリーズといえば独特の擬音表現が有名ですが、擬音執筆時の荒木先生の筆先は、目の前の原稿を大きくはみ出してもなお動き続け、時にはそのまま、目の前の何もない空間に対してまで擬音を書き殴りはじめるという程度のエピソードならば紹介しても差しさわりないでしょうか。
>チャミ様「マンガ描いてて楽しいでしょ」
と聞くと、笑顔で、
荒木先生「うん、楽しい」
ああー。そういうことか。
バクマンのあいつのモデルは、飛呂彦先生かぁ。
なっとく。

